大判例

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札幌高等裁判所 昭和38年(ネ)21号 判決 1965年6月24日

控訴人

山本大夫

右代理人

田村誠一

被控訴人

岡田智

被控訴人

田嶋福蔵

右両名代理人

田村武夫

主文

被控訴人田嶋福蔵に関する本件控訴を棄却する。

右部分に関する控訴費用は控訴人の負担とする。

原判決中被控訴人岡田智に関する部分を次のとおり変更する。

被控訴人岡田智は控訴人に対し金一四六、四二二円およびこれに対する昭和三六年一〇月三日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用中控訴人と被控訴人岡田智との間に生じた分は第一、二審とも被控訴人岡田智の負担とする。

本判決は控訴人勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事   実<省略>

理由

被控訴人岡田が普通貨物自動車(北四―は三二七七号)の運転者としてその車で木材運搬に従事していたことについては当事者間に争いがない。

しかして当裁判所は更に審究した結果原審挙示の各証拠により、原審の判示したとおり

(一)  被控訴人岡田が昭和三六年一〇月二日午後四時頃前記自動車を運転して北海道常呂郡常呂町と北見市とを結ぶ北海道庁管理にかかる道路を北見市方向に進行し、常呂町字日吉三八七番地先付近を通過した際、控訴人が第二種原動機付自転車常呂町〇〇一二号―以下「原付自転車」という。)に乗つて右道路左側を同一方向に向つて進行しているのを追い越したが、追越しの直後に控訴人が右側に転倒し、右鎖骨々折、顔面、右上膊、腰部等擦過傷等の傷害を受けたこと。

(二)  右控訴人が転倒した地点から常呂町字日吉市街に至る東方(後方)約一五〇メートルの間の道路は、ゆるやかな登り坂(本件事故車の進行方向よりすれば下り坂)になり、その先は左カーブになつていて見通しはきかないが、右転倒地点から北見市に至る西方約(前方)約一〇〇〇メートルの間の道路は、ほぼ直線で平らな見通しのきく状況にあること。しかして右転倒地点付近は、道幅約六・六メートルで、右事故当時はバラス(川砂利)が約五、六センチメートルの厚さで一面に敷かれ、わだちの部分(幅約五〇センチメートル)はバラスが土中にくいこんでいたが、その他の部分は車を乗り入れるとバラスのため流されるなどして危険であるとともに、歩行は困難であり、婦女子などはその道路より南方約三〇〇メートル付近に平行して走つている旧道を通行していたこと。

(三)  被控訴人岡田の運転していた自動車は、五九年式ダイハツ・ベスターで後部荷台の側板部分を取りはずした空車であり、控訴人の乗つていた原付自転車は山口一二五CC車で後方荷台に段ボール箱二つを積載していたこと。

(四)  控訴人は当時右原付自転車で時速二〇ないし二五キロメートルで道路左側のわだち付近を進行しており、被控訴人岡田の運転する自動車はその右側を時速四〇ないし五〇キロメートルで追い越したものであること。

をそれぞれ認定し得るが、控訴人が転倒したのは、道路左側わだちとその左側バラスとの境付近にハンドルをとられたために生じたものか、あるいは左側バラス上に避けるときまたは避けたのちにバラスに流されるなどして転倒したものか、もしくは控訴人主張のように右自動車と接触したために転倒したものか、その他いずれとも断じ難いので、以上の点に関する原判決理由の記載(原判決理由第二段落以下末尾まで、ただし最終の一段およびその前段末尾の「したがつて」以下を除く。)を全部引用する。なお当審証人山本光明の証言中「トラツクとオートバイがぶつかつた。」との趣旨の部分は原判決が原審証人山本光明の当該証言部分の信憑性について説示すると同一の理由により直ちに採用し難い。

しかしながら車輛が他の車輛を追い越そうとするときは、追越しをしようとする車輛(後車)は追い越されようとする車輛(前車)に十分に注意し、かつ、前車の速度および進路ならびに道路の状況に応じて、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない(道路交通法第二八条参照)のであつて、追越しに際し前車に何らかの障害が生じた場合、それがたとえ後車との接触もしくは衝突に起因するものでないとしても、そのことだけもつて後車にその責任なしと速断することはできない。本件において控訴人は被控訴人岡田が追越しに際し控訴人に接触したとの事実を過失の内容として主張しているけれども、過失の内容をなす事実は間接事実であつて、要するに控訴人は追越しに際し岡田に過失のあつたことを主張しているのであるから、接触以外の追越し不当の事実を認定することはもとより弁論主義に反するものではない。

そこで前段までに認定した事実を基礎として被控訴人岡田に追越し不当がなかつたかを考察するにを総合するに、<証拠>を総合すると、

(一)  現場付近の諸車の交通量は交通頻繁という程ではない(原審における検証が実施された昭和三七年八月六日午前一一時一五分から午後〇時一〇分までの五五分間に現場を通過した車輛は、バス一台、トラツク二台、オートバイ三台、普通四輪車六台、自転車一台という程度である。右甲第六号証の一〇には「割合交通量が多い」「往来頻繁な場所である」との記載があるが、もとより市街地等において交通頻繁という概念には当らないものと解される。)。そしてバラスを敷きつめた道路の中央部に一車線のわだちが左右両輪の部分(二条)においてそれぞれ巾約五〇センチメートルにわたりバラスが路面にめりこんでいて、左右のわだちの間隔は外側において約二・八メートルである。従つて両方のわだちから道路の端まではそれぞれ約一・九メートルを残すにすぎない。しかして控訴人が進行していたのは道路の南側(北見市方向に道路の左側)であつて、道路の南端は道路より約一メートル低地になつていて、草原、麦畑、水田等に続いている。道路の反対側(北側)は道路に沿つて幅約一メートルの側溝があり、草地、水田をへだてて山の斜面に接している。そして前認定のとおり、現場の手前一五〇メートル位は進行方向にゆるやかな下り坂となり、先方約一〇〇〇メートルは平担な直線で、見通しのきく状態である。

(二)  被控訴人岡田の運転していた自動車は二トン積の小型トラツクで、その全長は四・六九〇メートル、幅一・六九〇メートル、荷台の長さ三・二メートル、荷台の高さ一・二メートルで、荷台の側板をはずして丸太を積載するようにしてあり、前認定のとおり当時空車であつた。また控訴人の乗つていた原付自転車は長さ一・九メートル、荷台の部分の高さは七五センチメートルで、荷台の上に高さ二五センチメートル、幅五〇センチメートル、奥行三五センチメートルの段ボール空箱一個と、その上にそれの半分位の大きさの高さ約二〇センチメートルの段ボールの空箱一個とを積み重ねて積載していたので、地面から箱の上端までの高さは一・二メートルとなつていた。

(三)  事故当日の天候は晴天で無風、路面は乾いていた。

との各事実をそれぞれ認定することができるのであつて、このような状況において先行する原動機付自転車を追い越そうとする自動車の運転者は、後方から自動車が接近し追越しをかけてくることを原動機付自転車の運転者が確認した事実を確かめたうえ、自転車がわだちを出て道路左側のバラス部分に待避するのを待つか、または自動車を道路交通法第一七条により許される範囲内でできるだけ道路の右側に寄せて、自動車の車体左側と自転車との間隔を十分に広くとり、自転車の運転に支障を与えないよう速度も適当に低下して追い越すべき注意義務があるというべきである。けだし原動機付自転車が前認定のようにわだちの部分以外に乗り入れるとバラスのために流されるような道路の状況のもとで、自動車が接近して追越した場合、原動機付自転車の運転者に対応する準備ができていないと、風圧、震動または精神的動揺により運転を誤り転倒する場合のあることは経験則に照らし容易に認め得るところであるし、このようなバラス敷道路を進行する原動機付自転車はタイヤとバラスとの摩擦による騒音と自己のエンジンの音響により、後方から接近する他車に気付かないことが考えられ、自転車にバツクミラーがあるにしても、前認定のとおり交通頻繁ともいえない道路上で自転車運転者が常時バツクミラーにより後続車に注意を払うべきことも期待できないからである。

この点に関し原審における被控訴人岡田の本人尋問における供述中「控訴人を追い越す直前に警笛を短く二回ほど鳴らした。」との部分および右岡田の供述を記載した甲第六号証の五、六、七の同趣旨の部分が採用し難いことは先に引用した原判決の説示するとおりであり、また右供述中「控訴人が道路左側わだちの左端から約二尺位左に寄つたバラス上に徐行したので原付自転車との間隔を約四尺とつて追い越した」との部分も直ちに措信できず、却つて原審ならびに当審における控訴本人尋問の結果によれば、控訴人は、被控訴人岡田の運転する自動車が直後に接近するまで気付かず、自動車のエンジンの音が背後に迫つたところで気付いたところ自動車が控訴人の右側の至近距離を通過して追い越したとの事実を認めることができるから、控訴人が転倒したことが該自動車との接触によるものでないとしても、追い越しの不当に起因するものと認めるのが相当である。

しかるところ、被控訴人らは本件自動車は形式上は被控訴人田嶋の所有名義となつているが、真実は被控訴人岡田が買い受けたもので岡田の所有であり、本件事故当時も岡田が自己のため木材を運搬して運行の用に供していたものであると主張する。しかして前顕甲第六号証の一七、成立に争いのない甲第六号証の一四の一、二、原審における被控訴本人岡田智尋問の結果により成立の真正を認め得る乙第一号証、原審証人斎藤文三の証言、原審における被控訴人岡田智、同田嶋福蔵および一審被告大上光郎各本人尋問の結果を総合すると、「被控訴人岡田は昭和三六年八月頃から訴外株式会社岩倉組に雇傭され、木材運搬の業務に従事することになり、これについて貨物自動車を入手する必要があつたので、訴外旭川トヨタ自動車株式会社に本件自動車の購入を申込んだところ、同会社のセールスマン斎藤文三は被控訴人岡田の資産状況を調査し、会社としては被控訴人岡田と本件自動車の月賦販売契約を締結するのは困難なので、形式上被控訴人田嶋に買主名義になつて貰うようすすめたので、被控訴人岡田は右の事情を被控訴人田嶋に述べて代金支払については迷惑をかけぬから買主名義人になつて貰いたいと懇願し同人の承諾を得たので、被控訴人岡田は右会社から本件自動車を購入することにしたこと、かくて同年八月三日頃買名義人を被控訴人田嶋として右訴外会社との間に本件自動車を代金三五万七〇〇〇円、うち金八万円を即時、残金は同年九月から昭和三七年六月まで毎月一一日限り各金二万八〇〇〇円ずつ(ただし最後の回は金二万五〇〇〇円)とする旨の売買契約が成立し、金八万円は被控訴人岡田が支払つて右自動車の引渡を受け、割賦金の支払のため被控訴人田嶋が各支払期日を満期日とする約束手形を右訴外会社宛に振り出し、右手形の資金は被控訴人岡田がその都度被控訴人田嶋の銀行当座預金口座に振り込んで手形を決済する旨の合意が三者間になされたこと(右約束手形が振出されたことは当事者間に争いがない)、本件自動車の所有権は訴外会社に留保されていたが、道路運送車輛法による検査は被控訴人田嶋が買主名義になつた関係から同人が使用者として申請し、その住所を使用の本拠の位置として自動車検査証の交付を受けるとともに、被控訴人田嶋において自動車損害賠償責任保険契約者となつたこと(右保険契約が締結されたことは当事者間に争いがない)、本件自動車は被控訴人岡田が保管し、専らその稼働先である岩倉組の木材運搬のため使用し、その得た賃金のうちから割賦代金の支払をしていたが、被控訴人岡田が本件事故のため昭和三六年一一月一五日から運転停止七五日の行政処分を受けたこと等により、五回分程度を支払つたのみでその後の支払が不能となり、昭和三七年三月頃売買契約は解除されて訴外会社に引き揚げられたこと、被控訴人田嶋はその間本件自動車を自己の用務のため等に使用したこと」はなかつたことがそれぞれ認められる。右認定の事実からすると被控訴人田嶋は販売会社との間の本件自動車の売買契約につき被控訴人岡田のために買主たる名義を貸与し(たかだか代金債務につき保証人たることを承諾し)たものであつて、自動車損害賠償責任保険契約の締結および官庁への届出等の諸手続が被控訴人田嶋の名をもつてなされたことも、被控訴人田嶋が本件自動車の買主名義になつていたからにほかならないのであるから、本件自動車の買主としてこれを使用する権利を有し、自己のために自動車を運行の用に供するものは被控訴人岡田であるというべきである。すなわち被控訴人田嶋は右のように自己の名義の使用を許したとはいえ、それは全く恩恵的なものたるに止まり、その自動車の運行を支配し、またその運行により利益を享受しているものでもないから、自動車損害賠償保障法にいう「保有者」にあたらないものであり、同法第三条にもとづく損害賠償責任を負うものでないとともに、自己の事業のため被控訴人岡田を使用するものでもないから民法第七一五条にいう使用者としての責任を負うものでもないといわなければならない。

なお控訴人は、被控訴人田嶋が第三者に対し本件自動車が自己の所有であるかの如き表示をしているのであるから、その表示者として所有者と同様の責を負うべきであると主張する。しかして本件口頭弁論の全趣旨により本件自動車の写真であることが認められる甲第五号証の一、二によれば、本件自動車の荷台側板に「田島商店」なる表示がなされていることが認められ、その他前認定のとおり被控訴人田嶋において所有者であるかのような諸手続を経ているいることにより控訴人は被控訴人田嶋が本件自動車の所有者であると誤認したものと認め得るけれども、表見代理や名板貸のように相手方の信頼に責任の根拠を求めることは、取引関係が存在し、その不履行の責任が問われる場合に限るのであり、自動車事故のような純然たる不法行為の関係において、右の法理によることはできないから、このことにより被控訴人田嶋に自動車損害賠償保障法第三条にいう自動車の保有者としての責任を負わせることはできない。

しかして被控訴人岡田が運転者として自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたことはこれを認めるに足りる証拠がないから、同被控訴人は本件自動車の保有者として自動車損害賠償保障法第三条により控訴人に対し損害賠償の責任を負うことになる。よつて控訴人の受けた損害の額について考察するに、原審における控訴本人尋問の結果およびこれにより成立の真正を認め得る甲第二、第三号証、同甲第七号証を総合すると、控訴人は本件事故による傷害のため昭和三六年一〇月五日から昭和三七年一月二六日までの間、常呂町国保病院に入院して治療を受け、その間の入院料五三、一二四円、診察料、注射料、処置料、診断書料および検査料計七、七三八円、燃料費六、九六〇円、以上合計金六七、八二二円を右病院に納入したほか、入院の日から一週間付添人を依頼したことによる付添料金五、六〇〇円、石油ストーブ用石油代二、〇〇〇円、布団借料一、〇〇〇円を支払い、以上総計金七六、四二二円の出費をしたこと、が認められられる。また控訴人は事故当時四一才の健康体であり、妻のほか四人の子供を抱え六町三反歩の田畑を耕作する農家で、従前年間収入約八〇万円、諸経費を差し引いて純益約四〇万円を得ていたものであるが、入院中は昼食付で一日一人六〇〇円ないし七〇〇円の賃金で農業の手伝人を頼み、退院後も骨折等の後遺症のため十分な労働ができない有様で、相当の精神的苦痛を受けたことが認められるので、右精神的苦痛に対する慰藉料の額は諸般の情況を参酌して金一〇万円を相当と認める。すなわち、本件事故により控訴人の蒙つた損害額は以上合計金一七六、四二二円であるところ、控訴人は本件事故につき自動車損害責任保険金三〇、〇〇〇円の支払を保険会社から受けたことを自認しているから、右金額を控除して残額金一四六、四二二円が未だ填補せられない損害額である。

よつて被控訴人岡田は控訴人に対し右金一四六、四二二円およびこれに対する不法行為の翌日である昭和三六年一〇月三日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるが、控訴人の被控訴人岡田に対するその余の請求および被控訴人田嶋に対する請求は失当として棄却すべきである。すなわち本件控訴は被控訴人岡田に関する部分において一部理由があり、被控訴人田嶋に関する部分は理由がないこととなるから、被控訴人田嶋に関する本件控訴を棄却し、被控訴人岡田に関する控訴により原判決を右の趣旨で変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九五条、第九六条、第九二条但書、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。(和田邦康 田中恒朗 倉田卓次)

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